第3回 アヌシー讃歌ーー地上で最も美しい一編
- T. OSUMI

- Nov 10
- 7 min read
Updated: 3 days ago
アヌシーは町ではない
詩そのものだ
神様が書いた
地上で最も美しい一編
読むたびに新しい意味を持ち
訪れるたびに違う顔を見せる
決して読み終えることのない
永遠の物語
アヌシー
その名前を呟くだけで
心に小さな波紋が広がる
水鏡の町よ
私の魂の故郷よ
ーーCreated by OSUMI with Claude

大学を去って二年近くが経った。研究室の鍵を返した日、妙に軽くなった鞄を肩にかけながら、ふと思い出したのがアヌシーの町だった。あれは確か、国際会議の帰りに立ち寄ったのだったか。いや、違う。アニメ国際フェスティバルだ。マンガとアニメが大好きなのでわざわざ国際会議の予定より三日早く日本を発って、この小さな町に寄り道をしたのだ。
予期せぬ出会い
ジュネーブからバスで一時間ほど。国境を越えてフランスに入り、車窓から見えるアルプスの山並みに目を奪われているうちに、アヌシーに着いた。バスターミナルから旧市街へ向かう道すがら、最初に目に飛び込んできたのは運河に映る建物の姿だった。
「ああ、これか」
と、私は思わず声に出していた。旅行雑誌で見た写真そのままの光景。いや、写真以上だった。水面に映る建物が、まるでもう一つの町を形作っているようで、どちらが本物なのか一瞬わからなくなる。古希がひたひたと近づいている男がそんなことを思うのも気恥ずかしいが、本当にそう感じたのだから仕方ない。
運河の水は驚くほど透明だった。アルプスの雪解け水だと後で知ったが、その清らかさには本当に感動した。沖縄に移住後、高原の湖や渓流から縁がなくなってしまった身には、こんなに澄み切った水が町の真ん中を流れているということ自体が奇跡のように思えた。
一杯のビールの幸福
荷物をホテルに置いて、すぐに町歩きに出た。国際会議の発表準備など、その時の私の頭にはなかった。石畳の路地を歩き、石橋を渡り、気がつけば湖畔のレストランの赤いプラスチック椅子に座っていた。
”Une bière, s’il vous plaît.”
フランス語の発音には自信がなかったが、ウェイターは笑顔で頷いてくれた。運ばれてきたビール1664のグラスを手に取り、一口飲む。そして顔を上げると、目の前にはアヌシー湖、その向こうには雪を頂いたアルプスの峰々。
たった一杯のビールが、こんなにも美味いものだったか。
研究者生活40年近く、世界中の学会に出席してきた。ボストン、ロンドン、北京、シドニー。どの町にも思い出はある。だが、このアヌシーでの一杯のビールほど、人生の至福を感じた瞬間はなかったかもしれない。

時を忘れる午後
時計を見ると、まだ午後三時だった。国際会議は明後日から。事前に目を通しておくすべき論文もある。でも、その時の私は、そんなことどうでもよくなっていた。
橋のたもとのカフェで、また腰を下ろした。今度はエスプレッソを頼んだ。目の前を観光客が行き交う。若いカップル、家族連れ、私と同じような一人旅の中年男性。みんな、同じような表情をしている。穏やかで、満ち足りた表情。
欄干に飾られた花々が風に揺れている。ピンク、紫、赤。なぜか、亡き母が好きだった色だと思った。2年前に亡くなった母にこの町を見せてやりたかったな、とぼんやり考えていた。
夜の魔法
夕暮れ時、もう一度、あの島の宮殿を見に行った。パレ・ド・リル。12世紀の建物だという。日中も美しかったが、夜のライトアップされた姿は格別だった。
黄金色の光に照らされた石壁が、静かな水面に映り込んでいる。まるで、時間が止まったかのような静けさ。観光客もまばらで、橋の上で一人、その光景を眺めていた。
歴史の影と未来の光が重なり合い、湖面に揺れる黄昏を宿す町が夜の帳をまといはじめている。
研究者としての私は、いつも時間に追われていた。論文の締め切り、学会発表、講義の準備、学生の指導。一年が、一ヶ月が、一週間が、あっという間に過ぎていく。そんな生活の中で、ただ何もせずに立ち止まるということを、いつの間にか忘れていた。
でも、この夜、このアヌシーの橋の上で、私は久しぶりに時間を忘れた。いや、時間から解放されたと言うべきか。過去も未来もなく、ただ今この瞬間がそこにある。そんな感覚だった。

路地裏の発見
翌朝、またふらふらと町を歩いた。昨日とは違う路地に入ってみた。狭い石畳の坂道を上っていくと、突然、壁一面を植物が覆った建物が現れた。
緑の葉、色とりどりの花、黄色い花形のオーナメント。まるで、建物全体が一つの芸術作品のようだった。住人の方が丹精込めて育てているのだろう。こういう美意識、日本にもあるようでない。いや、かつてはあったのかもしれないが、効率優先の現代社会の中で失われてしまったのかもしれない。
カメラを向けながら、私は思った。学問の世界も同じだ。効率、生産性、査読論文。そんな数字ばかりを追いかけて、本当に大切なものを見失っていたのではないか。
別れの朝
アヌシーを発つ朝、もう一度、あの運河のほとりを歩いた。朝の光の中で、町は昨日とまた違う表情を見せていた。パステルカラーの建物が柔らかく輝き、水面は鏡のように静かだった。
「また来よう」
心の中で呟いた。でも、その後、学会、研究、教育と忙しい日々が続き、結局、アヌシーを再訪する機会はなかった。定年が近づくにつれ、「退職したら、もう一度」と思っていたが、いざ退職してみると、体力も気力も以前ほどではない。何よりもコロナ禍以降、円安もあいまって滞在費が異常に高騰し、ハードルが高くなってしまった。
今、思うこと
書斎の壁には、アヌシーで撮った写真を何枚か飾っている。水面に映る島の宮殿、花々に彩られた橋、アルプスを背景にした湖の写真。
時々、その写真を眺めながら、あの時の自分に戻る。赤い椅子に座ってビールを飲んでいた時の、あの静かな幸福感。橋の上で夜景を眺めていた時の、時間が止まったような感覚。
人生の中で、本当に大切な瞬間というのは、案外そういうものなのかもしれない。大きな発見や成功ではなく、小さな町の片隅で、一人静かに過ごした午後。そんな何気ない時間が、後になって、何よりも貴重な思い出になる。
アヌシー。もう一度行けるだろうか。行けないかもしれない。でも、あの町は、私の心の中にある。水面に映る建物の姿、花々の色、アルプスの白い峰、そして一杯のビールの味。すべてが鮮明に残っている。
それで十分なのかもしれない。いや、それ以上のものを、あの小さな水の都は私に与えてくれたのだと、今は思っている。

(注)私の大好きな町のひとつ、フランスのアヌシー。哲学者ジャン・ジャック・ルソーが暮らしていた町としても有名です。その魅力を伝えようとCopilotにいろいろと工夫したプロンプトと情報を入力したのですが、なかなか思っているイメージに近い表現にはなりません。そこで一計を案じ、私が撮影した写真をアップロードして文章化してみようと思い立ちました。
ちょっと前にChatGptに水納島の写真をアップロードして詳細を出力してもらったらかなりの分析力、表現力でした。やはり画像解析には強いようです。この経験を生かして、北海道大学キャンパスで撮影した紅葉の写真の説明をしてもらったところ、結構イイ線をいってました。
それに気を良くして、アヌシーの写真(すべて私が撮影したもの)を11枚Claudeにアップロードし、アヌシーの魅力を文学的に紹介するエッセイを作成してもらった結果が上の文章です。ついでに情緒たっぷりという条件をつけて考えてもらった詩の一部が冒頭の詩になります。なかなかのものです。ちなみに写真をクリックすると拡大されます。
手元には県外・海外を飛び回っていたころのデジタル写真が山のように残されているので、今回の方法とあと一ひねりのプロンプトを加えて、順次エッセイとして紹介していきたいと思います。
※最初にUPした文章は観光協会の説明のようだったので、あらためて退職した大学教授が初めてのアヌシー訪問を振り返っているエッセイ風に仕上げてもらいました。今回の文章では、アヌシーに一回しか行っていない描写になっていますが、コロナ前まではほぼ毎年、国際アニメフェスティバルに参加していました。




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