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第7回 戸隠LOVE——二十年ぶりの蕎麦巡礼

  • Writer: T. OSUMI
    T. OSUMI
  • 2 days ago
  • 7 min read

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長野駅から直行バスに揺られて約1時間。市街地を抜け、ループ橋を越えると、車窓の景色は一気に秋色へと染まっていく。かつては急勾配と急カーブが続く県道を車で登ったものだが、今では観光バスで快適に直行できるようになった。大久保の茶屋が近づく頃、遠くに雪をいただいた北アルプスが輝き、窓際の乗客たちが一斉にスマホを構えて撮影タイムが始まる。


戸隠。実に20年ぶりの訪問である。


沖縄に移り住んで四半世紀。美しい海と温暖な気候に囲まれた暮らしは満ち足りているが、食に関しては時折どうしようもなく恋しくなるものがある。それは、凛とした空気に抱かれて五感で味わう戸隠の蕎麦。日本蕎麦ならではのほのかな香り、喉ごし、そして口の中で存在感を放つ心地よいコシ――そのすべてが忘れがたい。


バスを降り立つと、標高1,200メートルの清冽な空気が体を包み込む。深呼吸ひとつで、内側から浄化されていくような気がする。



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見上げんばかりの立派な木造の大鳥居。 その向こうには、鬱蒼とした緑に包まれた石段が続いている。一礼して鳥居をくぐると、ふっと風の温度が変わった気がした。 ひんやりとした湿り気を含んだ空気。ざわざわと風に揺れる木々の音。 ここから先は、神様の領域なのだと肌で感じる瞬間だ。


社殿へと続く石段は、なかなかの勾配だ。 周囲を取り囲むのは、天を突くような杉の巨木たち。 「よいしょ」と声を漏らしながら登るうちに、日々の悩みや、都会の喧騒が頭から離れていく。ただひたすらに足を動かし、息を整える。この「登る」という行為自体が、一種の禊(みそぎ)なのかもしれない。


境内に足を踏み入れ、まず圧倒されたのが巨大な御神木だ。 樹齢700年とも800年とも言われるその杉の木は、大人が数人で手を繋いでも届かないほどの太さ。荒々しい樹皮には、数え切れないほどの冬を越えてきた歴史が刻まれている。 注連縄(しめなわ)が巻かれたその姿を見上げていると、首が痛くなるほどだが、不思議と心地いい。 自分がいかに小さな存在か、そして命の繋がりがいかに壮大か。言葉はなくとも、巨木は静かに語りかけてくるようだ。


まず目指したのは、中社近くにある馴染みの店『岩戸屋』。 坂の途中に建つその店構えを見た瞬間、記憶が一気に蘇った。 どっしりとした看板に刻まれた「元祖 戸隠手打そば」の文字。そして、風になびく鮮やかな緑色の暖簾(のれん)。 「ああ、変わっていない」 20年前、まだ若かった私が足繁く通ったあの頃のままだ。洗練されたモダンな店もいいけれど、この実家に帰ってきたような安心感こそが岩戸屋の魅力なのだ。


「ざるそば大盛りで」 迷わず注文し、席で一息つく。 ほどなくして運ばれてきたお膳を見て、思わず顔がほころんだ。


これだ。このビジュアル。 根曲がり竹の円ざるに盛られた、艶やかな蕎麦。戸隠伝統の「ぼっち盛り」で、一口大に束ねられた麺が美しく並んでいる。水気を纏ってキラキラと光るその姿は、芸術品のようだ。


そして、岩戸屋といえばこの「小鉢」が嬉しい。 蕎麦の横に添えられた、野沢菜の漬物と山菜の煮物。 メインの蕎麦を邪魔しない、けれどもしっかりと信州の滋味を感じさせる優しい味付け。こういうさりげない「おもてなし」に、お店の優しさが詰まっている気がする。


一ぼっちを箸で手繰り、つゆに半分ほど浸して一気に啜る。 冷たい水でキュッと締められたコシ、噛むほどに広がる穀物の甘み。 「うまい……」 言葉にするのが野暮なほど、身体がこの味を求めていたのがわかる。合間に野沢菜をポリポリとかじり、また蕎麦へ。大盛りでもペロリといけてしまうのが戸隠マジックだ。


寒暖差の激しい気候、清らかな水、そして伝統の技。すべてが揃って初めて生まれる奇跡の味。七ぼっちを食べ終える頃には、身体の奥底から幸福感がじわじわと湧き上がっていた。


続いて人気店『そばの実』へ。白地に力強い筆致で染め抜かれた暖簾が風に揺れ、その凛とした布をくぐり、重厚な木の扉に手をかける。


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平日の早い時間にもかかわらず、駐車場は満車で、店の前には順番を待つ人々があふれていた。昔は並ばず入れたものだが、今ではすっかり人気店となっている。


やがて名前を呼ばれ、席に着く。ここではざるとろの大盛りを注文。円形の笊には瑞々しく輝く蕎麦が美しい弧を描いて盛られ、その横にはたっぷりのとろろ。箸で蕎麦を持ち上げ、とろろにくぐらせて口へ運ぶと、蕎麦の野趣あふれる香りととろろの滑らかさが一体となって喉を駆け抜けていく。岩戸屋より少し太めの麺は存在感があり、噛むほどに甘みが広がる。それぞれの店のこだわりを味わえるのも、蕎麦巡礼の楽しみだ。


最後に向かったのが今回のハイライト、奥社である。


入り口の大鳥居をくぐると、そこはもう神域。 「下馬(げば)」と刻まれた古い石碑が目に入る。かつては高貴な身分の人でも、ここからは馬を降り、自分の足で歩まなければならなかった場所。現代に生きる私たちもまた、肩書きや日常の鎧を脱ぎ捨て、ただの一人の人間として歩を進める。


参道の入り口付近は、驚くほど穏やかだ。 さらさらと流れる小川のせせらぎ。頭上を覆う広葉樹のトンネルからは、やわらかな木漏れ日が降り注いでいる。 平坦な砂利道を歩く足音だけが、ザッ、ザッ、とリズムよく響く。 新緑の緑が目に優しく、深呼吸するたびに森の香気が胸いっぱいに広がる。


朱塗りの随神門(ずいしんもん)をくぐった瞬間、空気が一変した。 温度が一度、下がった気がする。


目の前に現れたのは、天を突くような巨大な杉の並木道。 樹齢400年を超える巨木たちが、約500メートルにわたって整然と立ち並んでいる。 圧倒的だ。 真っ直ぐに伸びた幹は、大人が数人で抱えても届かないほどの太さ。見上げれば、梢(こずえ)が空を覆い隠し、あたりは薄暗く、そして静寂に包まれている。


巨木の回廊を歩いていると、不思議な感覚に陥る。 数百年の時を生きてきたこの木々の前では、人間の一生など瞬きするほどの一瞬に過ぎない。 日々抱えている仕事のプレッシャーや、将来への漠然とした不安。そんなものが、これっぽっちの小さなことに思えてくるのだ。


長い参道の先、奥社の本殿へ辿り着く頃には、体は適度な疲労感に包まれ、心は驚くほど軽くなっていた。 20年ぶりの戸隠。 この杉並木を歩けただけで、ここに来た意味は十分にあった。


「また来ます」


帰りのバスに乗り込む前、心の中で山々にそう呟いた。


バスが動き出す。窓の外の景色がゆっくりと後ろへ流れていく。紅葉、杉並木、中社の鳥居。そして遠くに見える雪をいただいた北アルプス。


そっと目を閉じると、記憶の片隅にはまだ、かすかに蕎麦の香りが漂っているような気がした。


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(注)今回は、日本蕎麦好きの私のイチ押し。戸隠の蕎麦を紹介する文章をAIに考えてもらいました。


「28年前に沖縄に移住したある大学教授が久しぶりに戸隠を訪れ、学生のころからほぼ毎年通い詰めていた戸隠を懐かしみつつ、紅葉と遠くの雪を頂いた日本アルプスの眺望に感動しながら戸隠のぼっち盛りの新そばを頂くシーンがありありと浮かぶような内容で、読んだ人がすぐにでも戸隠に飛んでいきたくなるような仕上がりでお願いします。」というプロンプトに簡単な背景説明を加えて、まずはClaudeに出力してもらいました。


3000字を超える力作となったため、半分程度に修正してもらった後、新機能となったGeminiの「思考モード」で旅行ブログ風に整えてもらい、さらに修正を加えたものが今回の文章です。そばの実については、写真を二枚アップロードして、より具体的でリアルな表現を出力してもらいました。


全体的にもっとカジュアルな表現にしてほしいとリクエストしたら、あまりにも軽い文章になったので、再度文体とトーンを整え、さらにかなり苦戦しながら修正を加え、できあがった上記の文章をUP。今回は一から自分で書き上げたほうが早かったかも(笑)。


沖縄移住後、おいしい日本蕎麦の店を求めてかなりさまよったのですが、お客さんが少ないのかすぐに閉店になってしまいました。今でも嘉手納町の「せいや」さんや新都心の「目白大村庵 那覇店」など、結構おいしい店もあるものの、私にとっては学生のころから通っている戸隠の蕎麦が一番です。


残念ながら沖縄そばは苦手。出汁はおいしいのですが、麺のあの食感が苦手です。私の両親も沖縄に遊びに来た時、はじめてあの沖縄そばの食感の洗礼を受けて以来、口にしようとしなくなりました。あるとき、貸し切りにしたタクシーの運転手さんがランチにおいしい店を知っているというので案内してもらったところ定休日だったため、次に行った店が沖縄そばの店。心の中で涙を流しながらそばを流し込んだ苦い記憶があります。


昔常連になっていた石垣島の丸八そば(いったん閉業後、息子さんが再開)や八重山そば、北谷にあるみはま食堂の麺は丸麺で触感も大好きですが、通常の沖縄そばの麺は移住後28年を迎えようとしている今も苦手です。


今年の8月には、今回が最後になる北海道幌加内町のそば祭りにも足を運んだので、そのうち紹介したいと思います。




 
 
 

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